本音を出す必要、って、果たしてあるのだろうかという。

東京からやってきた、会社の同期と飲みに行っていた。

飲むたびによく、私を評して言われるのが「喜怒哀楽を出さない」「本音が見えない」ということである。その人に限らず、割と複数の人から、似たようなことを言われることがある。

 

これは個人的な意見なのだけれど、コミュニケーションにおいて100%見え透いてしまう、ということが、自分についても相手についてもあんまり好きじゃない。

世間的には「深く仲良くなる≒意見や感情をすべてオープンにする」という考えを持つ人が多いみたいだけど、私は長く付き合っていく秘訣として「未知数な部分が常に介在する」ということの必要性を感じている。

 

人との会話には、一定の緊張感が必要だと思う。ダラダラと実もオチもない会話をする、というのは、個人の信条としては受け入れがたい。

常に相手が考えていることや感じていることを知りたい、引き出したい、というモチベーションがあるからこそ、会いたい話したい、という考えにつながっていくのではないかな、と。

逆に言えば、その感覚を周りの人にも思わせたい、というのが本能的にはたらいているのかもしれない。

まぁ、それがゆえに感情が見えなくて本音でしゃべってくれない人、という、ややネガティブな心象につながってしまうのだけど。

 

でも、よく誤解されるんだけど、自分から、ひけらかすような真似はしないけれど、ちゃんと訊かれたことにはちゃんと答えますよ、と。

ちゃんと答えたい質問を振られるかどうか、という問題はまた別にあるのだけれど、それはまたの機会に、ということで。